神戸時代の香川真司


スポーツマンは小さい時から才能を発揮しているのでしょうか。
プロサッカー選手である香川真司選手の例を見てみましょう。
香川真司選手は兵庫県に生まれて、小学校低学年の時に地元のサッカークラブに入っています。
神戸のマリノFCです。
そうして、小学校5年生では神戸NKサッカークラブに移っています。
クラブを移った理由は明らかにされていませんが、上のレベルを拾うための移籍であったとしていいでしょう。
やはり、小学校時代のことだから、プロサッカー選手としての素質があったかどうかはわかりません。
ただ、サッカーがスキな少年であったことは想像できますね。
どういう才能も、自分がスキでなければ長続きしません。
スキなサッカーのためだとすれば、努力は惜しまなかったのです。
神戸NKの監督とFCみやぎバルセロナの監督が知り合いだったこともあり、FCみやぎバルセロナの練習に参加したことがあるようです。
このFCみやぎバルセロナでの練習が、後の香川真司を作ったと言っていのかもしれません。
小学校の時は体力作りが重要ですから、サッカーのテクニックなどをめったに言いつけません。
やはり、基本的技術は指導するでしょうが、誰でもがプロになるわけではないのです。
但し、スポーツマンとか、小学校の時の経験はなんらかの形で影響しています。
神戸でのサッカーに特別なことがなかったとしても、プロとしての香川真司を作ったことは間違いないのです。
あなたも自分の小学校時代の影響で現在の自分があるか。
香川真司選手のサッカーはこれからも注目していきましょう。

香川選手の初得点

子供のころからサッカーばかりをしていた香川真司選手です。
プロサッカーに入ってから、たくさんのゴールを決めました。
懐かしい得点はたくさんあるでしょうが、予め初ゴールは思い入れがあるはずです。
2010年に移籍したドイツのドルトムントでの初ゴールです。
ドイツリーグのブンデスリーガでの初ゴールのことを話しましょう。
香川真司選手所属のボルシア・ドルトムントとVfLボルフスブルクと対戦しました。
ボスフスブルクには先輩である長谷部誠選手がいました。
途中出場して、日本人対決も制した形となったのです。
中盤からトラップで逃げ出した後、相手GKの動きを読んでからのシュートでした。
優秀ものです。
香川真司選手はドイツのドルトムントに移籍したのですが、多くを期待されていたわけではありません。
但し、その期待を逆に素晴らしい方に裏切ったのです。
彼は期待以上の活躍を通じています。
南アフリカワールドカップでは選手に選ばれなかったことが、ほんとに悔しかったのではないかと考えられています。
その屈辱をばねとして、香川選手は成長しました。
ドルトムントでの活躍がそれをもの語っています。
アジアカップでは背番号10を背負っての戦いです。
期待されているということです。
香川真司選手はこの時依然21歳です。
一層上を目指していただける選手なのです。
初ゴールは嬉しかったでしょうが、一つの通過点に過ぎません。
実にドルトムントではそれからも得点を重ねてあり、チーム首位に貢献しています。
これからも彼のサッカーを注目していきたいものです。

仙台時代の香川真司


今ではプロとして大活躍している香川真司選手の中学・高校時代を振り返ってみましょう。
小学校の時にふと練習する機会があった、FCみやぎバルセロナでサッカーをやるようになった香川真司選手です。
体力的にもプラクティカルにも伸び盛りであった時期を仙台で過ごしています。
中学校から仙台にサッカー留学しています。
FCみやぎバルセロナのジュニアユースに所属するためでした。
このFCみやぎバルセロナの練習は独特のものがありました。
個人技の練習を重点的にやっていたのです。
典型的な例としては試合中にパスを出してはいけないという指令が出たと言います。
つまり、個人の技術をとことん磨くことを教えたということです。
この時期にナショナルトレセンやU-15日本代表に選ばれています。
このナショナルトレセンと言うのは、文部科学省が際立つアスリートを育てようと、特別にゼミを開いているものです。
ナショナルトレーニングセンターの略です。
当時は日本に2か所しかありませんでした。
ここで最高の指導を受けることができたのです。
家庭生活はと言うと、最初は一般家庭に下宿していましたが、祖母との両方暮らしとして、その後はバルセロナのクラブの寮に入るようになりました。
高校時代は学校と練習場が離れていたために、毎日35kmの距離を自転車で通学したのです。
このことが足腰を鍛え上げる結果として、スタミナをつけることができたのです。
15歳になると、日本クラブユースサッカー選手権(U-18)大会に出場しています。
高校2年生でU-18東北代表に選ばれました。
この時も全く活躍したようです。

セレッツ大阪の香川真司

プロサッカー選手として活躍している香川真司選手のことを紹介ください。
ユースの時から活躍を注目されていた香川真司選手はプロサッカーとしてセレッソ大阪を選びました。
まだ高校2年生であった2006年にセレッソ大阪とプロ契約を結んでいます。
そうして、セレッソ大阪と業務提携していたヴィザス高校生に転校しています。
高校を卒業する前にプロ契約を結ぶケースは、めったになく香川真司選手が何とかであったということです。
それほどに香川真司選手が期待されていたということでしょう。
2007年当時はJ2でしたが、監督のレヴィー・クルビによって、レギュラーに抜擢されました。
リーグ戦35試合に出場し、5得点12アシストの記録を残しました。
その年にはカナダでFIFA U-20ワールドカップも開かれてあり、日本代表として2試合に出場しました。
次の年からセレッソ大阪の主力選手の位置を獲得しています。
U-19の代表としてだけではなく、U-23への飛び級も代表となっています。
また、平成生まれでA代表になった最初の選手になりました。
対UAE戦では初ゴールを挙げて、リーグ戦では35試合、16得点10アシストを記録しました。
ただし、当時の岡田監督からはヘディングが苦手だとして、特別指導を受けたそうです。
2009年は背番号を8に変更しています。
プロ入り初のハットトリックを達成するなど、活躍は続きました。
リーグ戦では27得点13アシストと、J2の得点王になりました。
海外からのオファーなどもあったようですが、2010年まではセレッソ大阪でプレーしています。
そしたら、ドイツへ移籍することになったのです。